さて、今日は久しぶりにブログを更新。
最近はずっと、副鼻腔炎だのなんだので、夏風邪と相まってか、体調がイマイチだった。
当たり前というか、いざ体調を崩すと痛感せざるを得ないのだが、健康が第一。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる、みたいなとこあるみたいだが、気をつけて」
まさに失って気付く感じで、体調、健康の有難さ、当たり前に感謝だな、と感じさせられた。
しかしながら、実際のところ、多少体調を崩す程度では、普段と変わらず不摂生をしたり、夜更かしや食生活なども、なかなか改善できない。
習慣、というものがいかに恐ろしい程の力を持つか、を感じさせられる。
風邪を引いていてもタバコを吸ってしまう、インフルエンザでも会社に行ってしまう感覚だ。(単なる物質依存、意思の弱さか?)

「わかっていてもやってしまう、いつもと同じを繰り返す、悪循環か」
さて、またネガティブ思考になりがちであるが、いつも、と言えば、私はかなりゴロゴロしている。
仕事中はそういうわけにはいかないのだが、部屋では、かなりゴロゴロしている。
いや、最近は、毎日10,000歩程度歩くことを習慣化するように努めており、それほどゴロゴロばかりはしていないのだが、とはいえ、何か生産的なことをしたり、充たされるような時間を過ごしているか、となると甚だ疑問だ。
今日は、イオンとファミマ、整骨院に行ったくらいで、後は部屋でメシを食い、ダラダラゴロゴロ、が実態だ。

「みんな、似たよなモンかもよ」
ゴロゴロ、を否定する気はないのだが、休日ですらも、ゴロゴロ、ダラダラ過ごしまくっていることがある。
アタマでは、もったいない、時間の無駄遣い、マイナス、などと重々わかっていながらも。
なかなか、気持ちが上向かないこともあれば、体調がイマイチなことも、やることがない(本当はいっぱいあるのだけど)、差し迫ってやることがない、やる気にならない・・・などなど。

「ほんとしょうがねえな」
あるある、だとも思うのだが、なかなか行動できない、面倒くさい、疲れた、やる気が出ない、面倒くさい、何もする気になれない、
みたいな感情に左右されて、怠け心に支配されてしまったり。
不意に昼頃寝てみたり、時間があるからと横になって携帯ばかりをいじっていたり。(子供か俺は)
ゴロゴロゴロゴロ、どうしようもねえなあしかし、と我ながら思うこともしばしば。(毎日??)

「そんな生活を打開!」
そんなゴロゴロ、だが、ネコにまつわる「ゴロゴロ」は、基本ポジティブ。
ネコは基本、気分が良い、幸せなときとかに、喉をゴロゴロ、グルグルと鳴らす。
よく撫でてやったり、傍にいるだけでも、だいたいゴロゴロと言っている。

「ゴロゴロ、グルグル、目玉はクリクリ。」
そんなネコの「ゴロゴロ」、一説に寄ると、ネコと暮らすことで、人間の心臓病リスクを軽減させる、だとか、オキシトシン(幸せホルモンの一種、絆ホルモン??)を分泌させる、とか、真偽や程度はさておき、科学的にもネコによる幸せ効果は証明されているようだ。
ペット療法、なんてのも聞く。
ネコのゴロゴロは、絆や信頼、癒し、ふれあい、などの意味合いを持つようだ。完全に私に欠けているものでもある。

「当たり前だが、なんだかんだで一人では生きられない」
正直、私は人がキライ、というか、人間関係は全く得意ではないし、つい回避してしまうこともしばしば。
できれば、関わりたくない、面倒くさい、と思うことはめちゃめちゃある。
しかし、今冷静に考えるならば、本当にうまくいかなかった付き合いだとか、面倒くせえ、嫌で仕方ねえよな付き合いですらも、多少は勉強になった。
願わくば、あまり深刻な悩まずに、適当なところで割り切る、うまく切り上げて、自分にとって有益、資産になるような人間関係の礎を、人生の早い段階で築けると良かったな、という後悔はある。

「人を招く??」
なので、最低限の、人付き合いは、スムーズにしておくべきだったなという思いは未だにある。
ところで、有吉弘行のラジオ番組、サンドリ(サンデイナイトドリーマー)で聞いた松村邦洋さんの言葉が響いた。
「挨拶にスランプなし」。
ゲス極まりないラジオでの、思わぬ収穫、名言だ。
松村さんは、「死ぬまで選挙」などと言っておられたが、とても、世渡りに長けるというか、愛されている印象。(イジられたりも多いとは思うが)
ネコのようなゴロゴロ感(ゴキゲン、幸せ)でいれば、きっと周囲にもポジティブに映るだろう。とりあえず、敵を作る必要はないし、可愛がられ、喜ばれるような、ネコ的な存在、が自分の理想でもある。
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